緊急事態宣言とデリバリーピザ

世間ではどうやら緊急事態宣言が解除されたらしく、バイト先のピザ屋もめっきり暇になりました。

コロナで自粛ムードのときは大変な盛況ぶりで、ゴールデンウィークなのに外出できないし外食もできないからせめてピザを頼もうとか、母の日はお母さんが家事から解放されるのでデリバリーを頼むとか、そういう理由でピザの注文が殺到していたらしく、4月の売上が繁忙期の12月を超えたとか、去年の同時期に比べて3倍の売上だとか景気のいい話を店長から聞かされていました。

その頃はできるだけシフトに入ってくれと頼まれたり、毎週のように新人バイトが増えたり、どれだけ頭数がいても夜のピークには大忙しだったのですが、ついに先週あたりから「やることがない時間」が増え続け、最近では夕方頃になるとピザを焼くオーブンの裏でデリバリー担当のバイトが10人くらい何をするでもなくぼけーと突っ立ってるような有様でした。今までは夕方にも多少の注文は有ったのに、世間の人は在宅で生活リズムが規則正しくなったらしく、注文は12時台と18~20時に集中してそれ以外の注文が減ったそうです。
普段ならデリバリーがないときは補充とかをやるのですが、人数が多すぎるせいで、やることが速攻で無くなるのです。
何もしなくていいなら楽なのでは?と思われそうですが、おおっぴらにサボれるわけでもなく(特に私はまだ新人だし)、バイトのメンバーはほぼ男子大学生ばかりなので雑談にも混じれず、精神的には忙しい時よりむしろ辛いです。
あまりにも仕事がないのでこないだまではポスティング(チラシをポストに入れて回る仕事)をやらされていたのですが、それもものの数日でエリア中にチラシを配り終わり、今週からはシフトががっつり削られ始めました。

どうやら今後はまた暇になりそうなので、バイトしてるからその日はもう何もしたくないとか、休みの日はMP回復のためにダラダラしたいとか言い訳できなくなり、このnoteの更新も真面目にしなければならなくなりそうです。

治験の体験談その2

前回は主に治験の報酬とか安全性の話で終わってしまったので、今回は治験が具体的にどんな感じなのか流れを紹介していこうと思う。

・治験の探し方
自分の場合は確か「治験」でググって探したら治験を実施している施設のサイトが見つかったのでそこに登録した。
他のところに行ったことがないので、他に治験を募集している施設が何種類くらいあるのかとか、それぞれの違いなどはよくわからない。

・応募の仕方
そのサイトに募集している治験の一覧が出ているので、スケジュールや条件を見て応募する。
ただし一度に複数参加することは厳禁なので(複数の薬が投与されると危険だしデータが取れないので)、同時に複数の治験に応募することも出来ない。また、一度投薬まで行くとその後3ヶ月経って薬の影響が間違いなく抜けるまでは他の治験に参加することが出来ないので、どの試験を選ぶかはかなり重要になる。プロニートにとっては通院3回のみとかの報酬が少なそうな治験に参加するのは逆に損という感覚すらある。やはり長期入院試験に狙いを絞りたい。

・健康診断
どの治験でもまずは健康診断を受けるところから始まる。繰り返しになるが健康状態がいちばん重要だからだ。
身長、体重、心電図、血液検査、検尿それから既往歴も確認される。試験の内容によってはそれに加えて特別な検査をされることもある。
健康診断が終わると担当の医師から治験の詳しい内容とリスク、謝礼金の額などが説明され、きちんと説明を受けた上で参加するという誓約書にサインする。
ちなみにこのときの態度も被験者を選ぶときの基準になるらしい。明らかに話を聞く気がなかったりとか、集団行動が出来なそうなタイプは落とされるのだろう。

・選考
健康診断から一週間くらいしてから電話で結果の問い合わせをする。
検査の結果が基準を満たしていたら候補者になれる。
検査の結果が微妙に悪かったときでも1回までは再検査が受けられるチャンスが有る。

・集合
候補者になれたら投薬の前日に病院に集合。
このときの人数は実際に治験に参加できる枠より多めに集められる。
そしてここで再び採血をしてその日のコンディションで最終的なメンバーが決定されるのだ。
全員治験に参加するつもりでスケジュールを空け、コンディションを整えて臨んでいるので、一体誰が脱落するのか、ピリピリした緊迫感が漂う。
普段の治験だと大学生の割合が多いが、2週間以上の長期、高報酬の治験になってくるとそう簡単にスケジュールを空けられるわけではない。
自ずと、全国から集まった歴戦の治験戦士たち、年齢不詳、職業不詳みたいな怪しい面構えの人間ばかりになってくる。
とはいえ彼らも健康診断をくぐり抜けている時点で健康には自信があるおっさん達なので、競馬場やハローワークみたいな不潔そうなおっさんたちともまた違う独特の雰囲気がある。

・選考
採血をしてから選考結果が出るまで1時間程度ロビーで待たされる。
この間はフロアにいれば完全に自由な時間で、漫画を読んだり設置されているテレビを眺めたりして時間をつぶす。
これが試験会場や面接会場であれば、こういう待機時間は他の参加者に対して「自分と比べてどっちが有能そうか」「賢そうか」などを探るようにチラ見したり話しかけたりするものだが、ここでの戦闘力は「健康さ」である。
眠そうにしていたり咳をしたりする相手を見つけては「こいつには勝ったな」と思って自分を安心させるのである。
そうこうしているうちに、白衣を着た医師が登場して結果発表の時間が訪れる。

「では、お名前を呼ばれた方から一人ずつ別室に移動していただきます。〇〇さんどうぞ」

名前を呼ばれた人が勢いよく立ち上がり、誇らしげな顔で別室へと消えていく。
しかし、実はこれ、呼ばれた人から不合格という罠なのである。
別室へ行くと「今回、〇〇さんの結果も決して悪くはなかったんですが、他の方と比べるとこの項目の差で、残念ながら今回はご参加いただけないという判断になりました。もしよければまた別の試験もありますので・・・」といった説明を受けることになる。
さきほどの優越感に満ちた表情から一転、気落ちした顔で、フロアで待つ人達に顔を合わせないように裏から帰っていくのである。

フロアで待つ人達はそうとも知らず、一人、また一人と読み上げられるたびに「次こそ、次こそ俺の名前・・・!」とジリジリ焦りながら待っているのだが、途中で一転「今ここに残った人が参加していただく方になります」と逆転全員合格の福音が告げられ、緊迫した空気が一瞬にして弛緩し、安堵に満たされる。
絶対これ職員も内心では楽しんでやってると思う。

ちなみに、ここでもまだ最終確定ではなく、投薬(治験開始)される翌朝までは予備の候補者が2,3人残される。
候補者の体調が急に悪くなった場合に備えての補欠なのだが、待機でも一泊分の謝礼が1万円くらいもらえる。もらえる分だけマシではあるが、健康診断の予約から数えると半月~1月くらい時間がかかっているし入院分のスケジュールも空けていることも考えると報酬がそれだけではかなり渋いものがある。
俺はこの補欠になったことも一度あるのだが、合格者たちは数十万の報酬金が内定してすっかりくつろぎはじめた中で「だれか急に風邪引かねえかな」と呪いながらコンディションを維持するために水を飲み早めに寝るのは微妙に屈辱的な気分であった。

・投薬
翌朝、体温を測り医者の問診を受けて被験者が確定し、予備待機者は帰される。
投薬は朝食を抜いて朝の10時頃から始まったと思う。
治験は製薬会社からの依頼で病院が実施している形となっており、投薬の瞬間は製薬会社の人間が立ち会って、万一にも手順に間違いがないように厳正に行われる。
自分が参加した治験はどれも飲み薬だったのだが、被験者が一人ずつ5分ずつ時間をずらして呼ばれ、医師から手渡された錠剤を飲み込み、コップ一杯分の水で胃に流し込んで、きちんと飲み込んだことを示すために口を開けて中を確かめられる。
そして採血地獄が始まる。初日はめちゃめちゃ採血の回数が多い
薬を飲んでから15分ごと、30分ごと、1時間ごと、合計で10回以上、15ccずつ採血される。
ひっきりなしに血を抜かれていると血の気が引いてきて、脳貧血になりそうになった。
顔が真っ青になっているのがバレると自分だけ脱落、謝礼金なしになるかもしれないとあわててベッドから起きて廊下を歩き回り、足裏からのポンプで体内に血液を循環させてなんとかしのぎきった。立ち上がった時は危うくふらついて倒れそうになって危なかった。
この初日さえ乗り切れば採血の頻度はどんどん少なくなり、日に1回、2日に1回となっていくので後は楽である。
毎日出された飯を食い、日中はベッドに寝転びながら漫画を読んでダラダラ暮らすだけの日々を満喫すればいい。
退院したあとも一週間後くらいに一度通院して事後の経過を確認するので、その時までは絶対不摂生したり油っこいものを食べるなと釘を差されて終わる。血液検査の結果はマジで鋭敏に出るので、とんこつラーメンやら焼き肉やらで暴飲暴食してデータがめちゃくちゃになると最悪の場合は報酬なし、今後出禁まであるくらいのことを言われる。

・一番しんどかった治験
ここまでで説明したのは楽だったときのケースで、中にはしんどいやつもあった。
投薬後の胃液のpHを継続的に調べるために「胃に鼻の穴からセンサーをつっこんだまま3日間生活する」という試験は話を聞いた時点で嫌だなと思ったし、実際にやってみても聞いたとおりのしんどさだった。
しかし、高額報酬の治験は頻繁にあるわけではない。ただえさえ申し込んでから合格するまでに1ヶ月弱かかるし、治験に参加するごとに3ヶ月のインターバルも必要なので、回転率を考えると選り好みする心理的余裕はあまりないのだ。
健康診断のために病院までわざわざ出向いて半日潰した後に「今回の試験結構辛いと思いますけど耐えられますか?」って言われてもやっぱ辞めますとはいいにくい。数十万もらうためなら鼻からセンサー突っ込んだまま3日間生活することも甘んじて受け入れざるを得ないのである。
ということで、この試験は過酷さからなのか、すんなり合格して鼻からセンサーを突っ込まれることとなった。
「鼻の粘膜弱かったりしますか?途中で鼻血が出たら待機者と交代になりますが」と事前に釘を差されていて「大丈夫だと思います」と答えたものの、わりと年1回くらいのペースで鼻血を出しているので内心ではめちゃくちゃ不安だった。

「鼻の奥に管を突っ込むので、奥まで入ったら鼻をすするような感じでぐっと飲み込んでください」と言って白衣を着たおっさんが俺の鼻の穴に管をグイグイ突っ込んでくる。
耳かきを奥の方まで突っ込みすぎる感覚と若干似ている。明らかに壁にぶつかっててクソ痛い。
最初は「初めての経験なので優しくしてください///」と処女のような気持ちで居た俺だったが「あれ、ひっかかってうまく入れないな」などといいながらグイグイ押されているうちに「もっとうまく入れろこのドヘタクソ!」とおっさんの頭をグーではたきたい気持ちを必死にこらえた。
俺の粘膜が頑張って耐えているのにこの童貞オヤジのテクニックが下手すぎて鼻血が出ようものなら数十万円がパーになるのだ。
そうこうしているうちになんとか鼻を通過したが、喉を通って胃まで入ると今度はめちゃくちゃえづく。気持ち悪いときに喉に指を突っ込んでいるのと同じ感覚がずっと続いているのだ。
どのくらいの太さだったろう。イヤホンのコードが近いだろうか。
硬さはもうちょっと硬かった気がする。
異物感はずっと残り続けているし、首を動かすたびに中で擦れて痛い。
刺さっている方の鼻の穴から鼻水が垂れ続けてくるのもしんどかった。食事の時は喉の奥に小骨が刺さっている痛みを数倍にした感じで咀嚼して飲み込むたびに痛かったし、寝るときもずっと異物感が有って寝付けなかった。あの試験はもう二度とやりたくない。

他にヤバそうな試験としては、「3日間頭に電極をつけて脳波を測定する」というやつもあって、それもめちゃくちゃヤバそうだったので興味があったのだけど結局選考に落ちて受けれなかった。
頭皮にジェルを塗って電極を貼ってからヘッドギアみたいなのをつけるから結構蒸れてかゆいみたいな説明をされていて、胃pHとどっちがしんどいか勝負だなと思っていたので参加できなくて安心したような残念なような気持ちだった。
読者の方で自分はこんなヤバい治験に入ったことがあるなどの経験談があったら是非教えていただきたい。

治験の体験談

治験の募集に応募していたのだが、先方から電話があり、参加の受付ができないと断られてしまった。
理由は、前回、前々回の応募の際の血液検査で同じ項目が基準を満たせなかったからだそうだ。
治験は応募者の中から血液検査の結果で健康な順に被験者が選ばれることになっているのだけど、2回連続で同じ項目がエラーになった俺はもう今後はエントリーすら出来なくなるらしい。

若い頃からずっと血液検査は全項目クリアーで、他の人達が「γ-GTPの数値がやばい」などと自虐しているのを尻目に一人ほくそ笑んでいたのだけど、人一倍健康体であるという自信が崩れ去る時がとうとう来てしまった。

エラーになった項目自体は直接的に健康がどうこうというわけではないという話だったが、自分でググってみても原因が何とか、値が悪いとどういう影響があるとか特に書かれておらず、単に血中のホルモンの関連の値ということしかわからなかった。
まあ、加齢の影響によるものだろう。地味に凹む。

テンションの下がる前置きから始まったが、今回は治験についての話をしようと思う。
ニートのマシュマロを送ったときにもコメントで「治験オススメ」と言われていたが、個人的にも同意で、ニートに治験はおすすめである。
指定された日数、病院で寝てるだけで1日あたり2万円とかもらえたりする。
しかも長い試験だと日程は2週間×2回とかあって、実際に俺も30万以上もらえたことがある。

ずっと安静にしておく必要があるので病院から出られないとか、頻繁に採血されるとか、大部屋に集団で入れられるとか、規則正しい生活をする必要があるので決められたものしか食べれないし就寝は23時で起床は7時とか、そういう部分は社会不適合者のネット廃人には若干辛いかもしれないが、用意された食事を食べてダラダラしていればお金がもらえるというのは極楽である。あまりに規則正しい生活をするので退院する頃には健康にもなる。
俺が行った施設には漫画がたくさんおいてあって自由時間には読めるし、PC持ち込み可でフリーwifiもあるので暇を持て余すこともなかった。

ところで、これを読んでいる人が一番気になるのは健康被害のことだろう。
一般的に治験と言えば、怪しげな薬物の人体実験とか、繰り返し行っていると身体がぼろぼろになるとか、医療関係者なら絶対知り合いには薦めないとかそういう話をよく耳にする。
そのあたり、自分の体験からすると大体は面白がって過剰に言っているだけじゃないかと思う。

というのも、まず理由の1つとして薬に関しては必ず医師から事前に説明がなされるようになっている。
どういう病気の治療薬なのか。過去にはどういう対象に投薬されたのか。それらの試験の結果(副作用が出た件数や症例)といったようなリスクに関する情報を聞いた上で、参加するか辞退するかは各自判断するようになっている。

今までの経験だとジェネリック薬品のケースが半分くらいだった。つまり、後発で廉価版の薬を作るのだけど元の薬ときちんと同じ働きをするのか調べる目的の試験ということだ。このケースだと少なくとも「怪しげな新薬」ではないし、薬の内容によっては副作用はあるにしても一回飲んだだけで内臓がやられるようなことはちょっと考えられない。

ただ、たまには危なそうな試験のケースも有る。
精神科の薬のときは流石にちょっと不安だった。しかも段階としては動物実験が終わったところで人間への投薬は初めてだという。
うろ覚えだが「不安障害の原因になる脳内のセロトニン受容体の異常を抑制する」みたいな説明をされたたと思う。
そのうえ、サルの実験で起きた副作用の例として無気力になって口から涎をダラダラ流したりとか、逆に凶暴になって異常行動をした例が1000件のうち数件あった、みたいな説明をされた。なにそれ怖い。
ただ、それはある程度の容量を継続的に投与した場合にしか見らなかったことで、今回の試験ではそもそも「薬の効果が出ると予想される量の10分の1だけ」投与して様子を見るという話だった。かなり慎重に様子を見ながら進めていく計画だ。
少ない量からスタートして様子を見ながらちょっとずつ量を増やしたケースを進めていき、合計10回くらい試験を行って安全か判断するらしく、その1回目の試験ということだった。だったらどう考えても安全そうだ。むしろノーリスクと言ってもいい。

それから、どの試験でも共通した話なのだけど、比較のために被験者のうち数人は偽薬(プラセボ)を飲むことになっている。
このケースで言えば被験者に選ばれるのは6人となっているのだけど、うち2人が飲むのは何の薬効成分もないブドウ糖か何かの塊なのだ。
陵辱系のエロゲでよく媚薬と偽って使われるアレである。
これはどういうことかというと、仮にその被験者に同じ異常が出たとして、偽薬を飲んだ人までなってるんだったらそれは薬のせいじゃなくて環境的な要因で起きたことだと判断できる、みたいな話だと思う。
もちろん6人のうち誰が偽薬を飲んだのかは被験者側には絶対にわからないようになっているわけだが、1/3の確率で完璧に安全というのは若干お得感がある。

まあこの辺りのことは治験をする側から与えられる説明なので、疑り深い人からすると上手いことを言って騙しているのではと思う人もいるかも知れないが、俺がそんなに危なくないだろうと思うもう一つの理由は自分が実際に何度も継続して治験に参加できていたということだ。
冒頭でも説明したとおり、治験は応募者の中から健康な順に参加できる。試験の基準は結構厳しく、数日前からアルコールや運動は禁止、当日は水をたくさん飲んでくるようになど細かく指示されたりもする。基準となる項目は30種類くらいあるらしく、そのうちどれか一つでも外れていたら不合格になる。
かなりの健康さが要求されるので病院側も健康な応募者の確保には結構気を使っているようだ。昔は選考に落ちたあとわざわざ「今回ちょっと基準に合わなかったけど、ぜひ次回別の試験にまた来て欲しい」と言われたこともある。
なので、もし本当に投薬で身体がボロボロになるんだとしたら何度も参加できているはずはないと思うのだ。
まあ、最近になって参加できなくなった理由がいつかの治験が原因でないとは言い切れないのだけど…

あと、怖いなと思う話としては、どの治験でも毎回のように言われることとして「投薬後3ヶ月は必ず避妊してください」と注意される。
というのは、生まれてくる子供に何らかの異常が起きるかもしれないから(試験が原因だと訴えられたら完全に否定しきれないから)ということらしい。避妊も何も、そもそも子作りする予定がないので俺には関係ない話ではあるがこの説明は毎回怖い。

あと、一度だけ治験が終わって数ヶ月経ってから急に「書類にサインしてもらいたいので病院まで来てもらえますか」と電話がかかってきたことがある。病院まで片道1時間半くらい距離があったので「面倒なんで郵送でもいいですか?」と答えたところ相手は困った感じで「ちょっと検討してみます」と通話を切り、その後更に数ヶ月たってから「謝礼をいくらかお支払するので病院まで来てサインして欲しい」と再度連絡があった。
怪しい。
何の書類なのか聞くと、「書類の様式が変わってしまって一度サインしてもらったものをもう一回書き直してもらわないといけなくなった」的ないまいち要領を得ない説明しかされなかったのだが、断る理由もなかったので了承して病院に行くことにした。どうせニートで毎日暇だから時間はいくらでもある。
病院につくと、事務員という感じではなく白衣を着た女医がわざわざやってきて「こちらのここに、サインをお願いします」と、なんかやたら細かい字がたくさん書かれた書類を差し出してきた。
俺はその書類に何が書かれているか確認したほうが良いと思ったのだが、書類は女医が手に持ったまま俺に渡してくれず、「ここに書いてください」と指差してやたらにプレッシャーを掛けてくるので相手の押しに負けて内容を確認せずにサインをしてしまった。
すると女医はにこやかに微笑んで俺に謝礼を渡して去っていき、要件はものの2分で終わってしまった。
こころなしか、その間他の職員も遠巻きに様子を見守っていたような気がする。
アレは一体何だったのだろうか・・・時期的にはもう5年以上前の話で、その後何か自分の体に異常が起こったということもないのだが・・・
未だに思い出すとゾワゾワするのでこのことは極力考えないようにしている。

 

結論:治験に参加するかどうかは自己責任で判断しよう。

ショッピングモールのカート引きの仕事

前回の続きです

郊外の大型ショッピングモールには巨大な駐車場が併設されている。
買い物を終えたお客さんは、商品をカートに載せて車まで運び、カートは駐車場にあるカート置き場に返す。
このカート置き場からカートを売り場まで持って帰るのがカート引きの仕事である。実に簡単そうな仕事だ。

mixiのパースコミュで、日本に帰るから自分のポジションが空くという男性に連絡をとった俺は、その仕事を監督している人物の連絡先を入手することが出来た。
ショートメッセージを送ると、明日の朝から来れるかと聞かれたので即答で了承した。
仕事の時間はショッピングモールの営業時間とおなじ9時から18時まで(オーストラリアのスーパーは閉まるのが早い)で日給100ドルの仕事らしい。
オーストラリアでは労働者の権利が強く、最低時給が当時でも確か15ドル以上だったのでこの日給は違法な安さのはずだが、とにかく仕事ができるのであれば構わない。簡単そうな仕事だし。

しかし俺は一つ重要なことを見落としていた。
ショッピングモールの場所である。

その時俺が住んでいた下宿はパースから南に20kmほど下った港町フリーマントルの更に郊外に位置していた。そのくらい郊外じゃないと安い下宿が見つけられなかったからだ。
ところが新しい仕事場になるショッピングモールはパースの北の外れ、真反対に位置していたのだった。
ルートを調べると、まず下宿から15分歩いた先のバス停からパースにあるターミナルまで1時間、そこで乗り換えてさらに1時間ほどかけてようやく到着するということがわかった。遠くね?
乗り継ぎ時間なども含めると、9時の営業開始に着くためには5時に起きなければならないということになった。これはなかなかしんどいことになりそうだ。

翌朝、言われた通りの場所に行くとサングラスを掛けた韓国人の男が俺を待っていた。いかにも兵役経験者といった佇まいのその男が現場監督で、俺に仕事の説明をしてくれた。
その広大なショッピングモール内にはカートを使う大きなストアは3つ入っているらしく、俺はそのうちのひとつを一人で担当することになるらしい。
駐車場内に何箇所かあるカート置き場を周回してカートを集め、一度に十台ずつまとめてストアまで押して帰るということだった。

実際に取り掛かってまず感じたのはカートがデカいということだった。日本のものより二回りくらいデカい。
コストコに言ったことがある人ならわかるのではないだろうか。おそらく同じくらいの大きさだと思う。
それをヒモで連結して一度に十台ずつ押していく。十台もまとめると相当に重く、動かすには結構な力がいる。

このショッピングモールの駐車場は売り場に向かって緩やかに下った坂になっていて、カートを運んでいると重力にひかれて自然と加速していく。最初は勝手に進んでくれて楽かなと思ったが、うっかりするとすぐに加速が付きすぎてしまう。
加速のついたカートの群れが坂道を降っていくところを想像して欲しい。ここは買い物客でごった返すショッピングモールの駐車場だ。
もしも加速のついたカートが車に(あるいは買い物客に)激突しようものなら、一体どうなるか。想像するだけで恐ろしい。
だから坂を下るときは慎重にブレーキを掛けながら進まないといけない。もしうっかり制御しきれないほど速度がついてしまったら、まだ加速がつきすぎる前に全力ダッシュでカートの先に回り込み

横から体重をかけてドーン!!!

タックルして横倒しにすることで無理やりカートを止めなければならない。
当然その後は重いカートを一台ずつ起こして連結するところからやり直しだ。
すごい音がするので周囲の視線も集まるし、泣きそうになる。

そして首尾よく坂を下り終わったら、次は車道から歩道へとスロープを登らないといけない。
今度は勢いをつけて体中でカートを押し込むのだが、このスロープの幅があまり広くないため、きちんとまっすぐに入れないと途中でカートの車輪が脱輪してしまう。
はみ出した車輪が段差に引っかかってしまうと、全体重をかけて血管が切れそうになるほど全力で押し込まないと上がってくれない。

それを越せばようやくショッピングモールの中に入り、売り場までカートを持っていくことが出来る。

これが俺の担当することになったカート引きの仕事の内容だった。
ショッピングセンターの開店から閉店まで一人でこの作業をこなさなければならない。

前回も書いたがこれは12月の出来事である。オーストラリアでは真夏、日中の気温は軽く35度をこえる灼熱の季節だ。
しかもクリスマスシーズンでもあり客はクソ多く、店頭のカートはすごい勢いで消費されていく。
カートが一杯になっったら休憩をとって構わないと言われていたが、どれだけ懸命に運んでも全く増える気配はなく、空にしないためには休んでいる暇など無かった。

炎天下で重いカートを運び続けると、体中から汗が吹き出す。
開始してから一時間もたたずに音を上げたくなったが、忙しさのピークも暑さのピークもここからが本番である。
とにかく熱中症で倒れるのを警戒しなければならなかったが、海外では水は日本ほど容易に手に入らない。
水道水は基本的に飲めないし、無料で飲めるウォータークーラーみたいなものも無い。
売店で売っているミネラルウォーターは確か500mlで2ドル以上したと思う。
ガブガブ飲んでしまうと稼ぎが消えてしまうので、できるだけ節約して、ペットボトルを植え込みの陰において(すぐにぬるま湯になるので)じっくり口の中に含むようにして飲んでいた。
そして頭を冷やすために、タオルをトイレの水で濡らしてターバンのように巻きつけていた。

そんな格好でよたよたふらつきながらカートを押していたら、買い物客のカップルから「みてみなよ、この世で一番過酷な労働だ」と指を指してせせら笑われたこともあったが、もはや俺には怒りを感じる余裕もなく、自分の体がまだ動けていることに対して、結構頑丈だなと自分自身の耐久テストをしているような気持ちだった。

どれだけ補充を頑張っても店頭のカートは相変わらず増えなかったが、正午を過ぎた頃には流石に生命の危機を感じてハングリージャック(バーガーキングの欧米での名前、物価の高いオーストラリアではファーストフードは圧倒的に安く、ハングリージャックとドミノピザにはよくお世話になった)のクーラーの効いた店内で勝手に休憩をとった。また、ここはドリンクがおかわり自由だったのでペプシコーラを2リットルくらい飲みだめした。
休憩を終えて店に戻ると当然ながらカートは完全にゼロになっていて監督の韓国人が激ギレしていたが、そんなこと言っても俺がぶっ倒れて死んだほうがお前も困るだろうというものだ。
彼は俺が仕事を真面目にやっていないと疑って何度も問い詰めたが、サボっているのではなく要領が悪いのと体力がないので単純に仕事が間に合ってないのだからどうしようもない。

夕方になっても駐車場には未だ大量のカートが残っていたが、とりあえずストアが閉まる時間になったので慌てて補充する必要はなくなった。
サンドイッチ屋のSubwayがまだ営業していたので夕飯を買うことにし、前の客が注文している間に少しかがんで休んでいたら驚いたことに立ち上がることが出来なくなった。どうやっても足に力が入らないのだ。
俺があまりにボロボロで汗だくなので店員も事情を察してくれ、水をくれて少し休ませてくれた。このときは久しぶりに人の優しさに触れた思いだった。
しかしまだ駐車場のカートを全て戻し終わるまで仕事は終わらないのでサンドイッチを食べて立ち上がるだけの元気が出たら再び作業に戻った。
1時間ほど残業してようやく全てのカートを戻し終え、また2時間以上バスに乗って下宿に戻る頃には22時を過ぎていた。翌日はまた5時おきである。

そのうちに体が慣れて仕事の要領をつかめばだんだん楽になるかもしれないと思いながら頑張ってやっていたが、一向に楽にはならなかった。
俺がサボっていると疑っていた韓国人の現場監督は三日目には俺の仕事を遠巻きに監視しはじめたらしく、それでようやく単に俺の仕事が遅いだけだということを納得してくれたらしい。この日、彼は店が閉まってから残りを手伝ってくれ、帰りは途中まで車に乗せて送ってくれた。
車中で彼は「お前は全体的に身体の使い方がわかっていない」と訛りの強い英語で俺に言った。「何的にって?」と聞き返したときに繰り返した「entirely!」という言葉が何故か印象に残っている。

「まだ仕事をやる気があるなら俺がやり方をちゃんと教えてやる」と彼は言ってくれたが、俺はうなだれて「もう続けられない」と彼に告げた。
「そうか、こんなに早く辞めたら給料は出ないかもしれないが、なんとか俺が掛け合ってやるよ」と彼は言い、3日分の給料300ドルは翌週手渡しで受け取ることが出来た。

人生で一番しんどかった労働

ブログを始めた時、一週間連続更新が目標と言ったのに4日しか続かずすっかり放置してしまった。
バイトを始めたと言ってもそれほど長い文章でもないし毎日書くくらいのことはできるはずなのだけど、家に帰ってきたらダラダラしたい誘惑に勝てず、画面を開くことが出来なかった。

世間ではGWも終わり、緊急事態宣言も解除されるかという状況で、こないだまではやたら忙しかったピザ屋も平常営業に戻りつつあるようだ。
新人が大勢入ったのはいいけど配達の仕事がないらしく、昨日は昼間から住宅地を歩き回ってチラシをポストに入れる仕事をやらされるはめになった。

バイクに座って走り回る仕事のはずが、チラシがパンパンに詰まったかばんを背負って炎天下を歩き回る仕事に変わったのは正直詐欺だと思うが
俺にはこういう時、「あのオーストラリアの思い出に比べたら楽園のようなものだ」と考えることにしている。

俺は仕事を辞めたあと、海外で生活してみたいという夢を叶えるためにワーキングホリデーでオーストラリアに1年間住んでいたことがある。
思い出すのはその中でも終盤のとにかく金がなかった頃のことだ。
旅立つ前に用意していた100万円の軍資金もその頃には残りわずかとなり、せっかくオーストラリアにいるにも関わらず、安下宿で無為に日々を過ごす生活だった。

色々仕事を探してはいたのだが、当時オーストラリアは空前の失業率で、現地民ですら仕事がないような状況、外国人労働者である俺に回ってくるような仕事がないのだ。
「稼げる」と聞いていた農作業の仕事では何度もハズレくじを引き、様々な農場地帯を転々と渡り歩くたびに何故か状況は悪化の一途をたどり、最終的にはマリファナの匂いが染み込んだトレーラーハウスに住みながら早朝にイラン人の手配するバンに詰め込まれ、どこともしれぬ農場で人権のない労働をさせられるところまで身を落としていた。
さすがに疲れ果ててしまった俺は、もう稼げなくてもいいからまともな仕事がしたいと、西オーストラリア州の州都、パースにたどり着いた。

ショッピングセンターのカート引きの仕事が狙い目という情報をmixiで読んだ俺は、家主に自転車を借りて近所のショッピングセンターへと履歴書持参で向かうことにした。
近所と言っても下宿から2km以上はあった気がする。そのくらい離れないと個人商店でない大きいお店はないような辺鄙なところだ。
ショッピングモールに到着した俺はとりあえず、実際に駐車場でカートを集めて運んでいる黒人の男に話しかけてみた。「仕事を探してるんだけど…」
男の反応は露骨に「俺に言われても困る」という感じだった。考えてみれば当たり前だ。彼は単なる従業員に過ぎないし、もし俺が雇われればその分そいつのシフトが減らされることになってしまう。迷惑だろう。

「俺のボスのMikeに話をしてみたら良い」と教えてもらったが、Mikeはここではなく、別のショッピングモールにいるらしい。通りを北にまっすぐ行けば5分ちょっとで着くと言う話だったのでそのまま自転車で北に向かうことにした。
ところで、この思い出は2009年の12月上旬頃の話である。オーストラリアは南半球なので12月といえば夏休み直前、夏真っ盛りである。
日本ほど湿度がないので体感的にはマシとはいっても日中の気温は30度を超えている。そのうえ日差しは比較にならないほど強い。坂の多い道を自転車で登ったり下ったりするのはなかなかにしんどかった。
それなのに、いくつ坂を登っても目当てのショッピングモールは見つからない。5分どころではなく、10分、15分、30分が経っても一向に見つからなかった。
この坂道を登ればきっと…
子供の頃そんな短編を読んだ記憶がある。
山を越えれば海が見えるという話を聞いた子供が、どれだけ山を越えても海にたどり着けず、今更戻ることも出来ずに日が暮れかけた山中で絶望的な気持ちになる話だ。このときの俺はまさにその少年だった。

やがて、自転車のタイヤがパンクした。
借り物の自転車である。
よほどその辺に放置してバスか何かで帰りたかったが、流石に良心がとがめた。一旦停めておいて帰りにまた拾えばいいかと思い、とりあえず歩くことにした。
次の坂道を登り終えると、下った先の交差店に自転車屋らしき店が見えた。
先程放置した自転車のところまで引き返して、押しながら坂道を登る。やはり自転車屋で間違いなかった。
パンクの修理をお願いしたところ、これはもうタイヤのチューブがいかれてるから買い換えないとダメだよと言われた。交換費用は100ドルだという。
その時の俺に100ドルを出す余裕はなかった。
諦めて再び自転車を押しながら次の坂道を登った。

結局、ショッピングモールにたどりつくまでには1時間くらいかかったように思う。そんなものは実在しないかもしれないと思い始めた頃だった。
おそらくだが、5分というのは車での話だったのだろう。ショッピングモールの目の前に停まるバスを見ながらそう考えることにした。

その後どうなったのかはよく覚えていない。
壊れた自転車を押しながら下宿先に戻ってこれたのは陽がすっかりくれた夜中だったと思う。ショッピングセンターにMikeはいなかった気がする。
しかし、俺はその後実際にショッピングモールのカート引きの仕事を監督している男の電話番号を入手し、連絡をとったことだけは間違いない。なぜなら俺はその仕事についたからである。入手経路は結局mixiだった気がするが。
そしてその「ショッピングモールのカート引きの仕事」というのがタイトルに書いた、人生で一番しんどかった労働なのだ。

(続く)

バイト始めました (5/6の日記)

人生相談をしたとき、ブログと一緒に「まずは週2のアルバイトからどうですかね」とUberイーツを薦められたのでデリバリーのバイトを始めることにしました。

Uberは自転車かバイクが必要っぽかったので、近所にあるピザ屋に応募しました。ネット上から申し込みできたので電話しなくてよかったのが地味に助かりました。

その面接が今日だったのですが、どうやら本当にコロナの影響で忙しいらしく、「時間があったら今日から入ってほしい」とあっさり即採用。
てっきり「結果は追って連絡します」と言われると思っていたので面接したら帰って家でVtuberの配信を見るつもりだったのですが、そこで断る勇気もなく、いきなり働くことに。

まあ言うてもバイクに乗って配達するだけだし楽勝でしょと思っていたし、初日だから先輩の後ろにくっついて走ってお客さんに渡すときだけやるみたいな感じだったのですが、夕方になるとデリバリーバイトの人数が増えてきて店にあるバイクの数が足りない+一緒に付いて走ってくれるほど人の余裕もないということで、新人は店の自転車を使って一人で配達させられる羽目に。

一応電動アシストの付いたやつだったのですが、普通にペダルが重い。
後ろの荷台にピザが積んであるのでバランスも悪く、自転車に乗ること自体がかなり久しぶりだったこともあり坂を登るときとかめちゃくちゃふらついて怖かったです。
3軒くらい配達したらもう尻が痛くなってきて、雨が強くなってきたということもあり「用事があるので今日は帰りたいです」と泣きを入れて、店がめちゃくちゃ忙しそうな時間帯に一人だけ先に帰らせてもらいました。

週ニのつもりだったのに明日も出勤です。
幸いなことに、最近は筋肉痛が2日遅れで来るので多分明日までは大丈夫でしょう。

本当は今日は仕事を辞めた時の話を書く予定だったのですが、疲れ果てて帰ってきて昼間見れなかったVtuberアーカイブを見ているうちに書く時間がなくなりました。
明日バイト終わってまだ元気があれば書きます。
あるといいな、元気。

実録、底辺の住環境

現在は東京と埼玉の境にある木造一軒家の一部屋で暮らしています。
6畳+収納1畳程度くらいの広さがある部屋で、家賃は光熱費や水道代など全部含めて5万円弱、敷金礼金なし。
共用のキッチンには冷蔵庫、コンロ、オーブンレンジなどがついてますし、トイレにもウォシュレットが付いていました(壊れたっきりずっと放置されていますが)。

最寄り駅から徒歩15分ではあるものの、相場に比べてかなり安い掘り出し物の物件だと思います。
たしかジモティーだったかルームシェア掲示板みたいなサイトで見つけたと記憶しています。そういうのは大体業者を介さずに個人で部屋を貸し借りするものなんですが、これは不動産業者が掲載していた物件で、入居の際にはちゃんと契約書も交わしました。

なので環境に関して不満はないのですが、問題は住人です。
シェアハウス物件なので、家の他の部屋にはまたそれぞれ別の住人が住んでいるのです。

これが家主が開いてる部屋を貸し出すケースであれば、人間性がちゃんとしてそうか面接があるのでしょうし、他の住人との顔合わせもあるはずです(ちなみにそういった募集に30代後半の無職男性が入れるものは見つかりませんでした)
しかし、この家は不動産屋が空き家を貸し出しているような感じで管理自体がほとんどされてないので、家賃さえ払えれば相手は誰でもいいみたいなノリで、審査は一切ありませんでした。

ということで、同じ家に共同で暮らす他の住民がどんな人間なのかは入ってみるまでわからないのですが、安い物件にはそれなりの頭のおかしいやつしか集まりません(私自身も含めての話です)。悪夢の住人ガチャシステムです。

メンバーはこれまでちょいちょい入れ替わっているのですが、一番マトモだったのが単身赴任で短期で入ってたおじさん、それ以外は絶望的です。
深夜4時に洗濯機を回すやつ、冷蔵庫に入っている他人のものを勝手に食うやつ、洗い物とゴミを放置して絶対に片付けないやつ。
それ意外にも風呂場で下手くそな鼻歌を歌う、女を連れ込んでセックスする、部屋でゲーム実況配信をしているらしく昼間からキチガイじみた大声をあげるなど、迷惑エピソードに関しては枚挙に暇がありません。

そして全員基本的に共用部の使い方が汚く、掃除をしません。
だから常にめちゃくちゃ汚いのですが、耐えきれなくなって掃除をしてしまうと、それ以降永遠に他の住人が汚した分の後片付けをさせられる羽目になるため、我慢比べと化しています。
以前は月に1度くらい様子を見に来ていた不動産屋から何度も文句を言われていて、最終的には「これ以上汚すようなら清掃費を別途月1万請求する」と言われたのですが「俺は自分が汚した分は片付けていて、汚しているのは他の住人なので絶対に払わない」と突っぱねて以降、不動産屋が来ることもなくなり、それからずっと汚い状態が続いています。

そして最新の住人ガチャでは最高レアの『インド人ファミリー(夫婦+3人の子供セット)』が到来。6畳の部屋に!?
冷蔵庫とキッチンの空きスペースにめちゃくちゃ物を置く、風呂からあがる時に体を拭かないので洗面所が水浸し、子どもたちが朝から夜まで泣き声と奇声を上げ続ける、しまいにはキッチンで夫婦喧嘩(ヒンディー語かな?)まで始める始末で、とにかく本当に最悪です。

実際のところ私にとって東京に住む意味はあまりなく(お金がなさすぎて外に出ることもなくなったため)、もっと物価の安いところに引っ越すべきなのですが、地元には戻りたくないし、かといって土地勘もなく知り合いも居ない別の土地に行くのも難しく、引っ越しするにも費用がかかるため踏ん切りがつかずに困っています。
もしこのnoteを読んでいる方でおすすめの引越し先があったら教えて下さい(限界集落はNO)